特殊清掃の歴史

特殊清掃業界の誕生ストーリーHISTORY

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特殊清掃業の歩み=リスクベネフィットの歩み!

この話は当社が特殊清掃会社として誕生し孤独死の増加という社会背景から、特殊清掃業界がどのように生まれたのか?
そこにどのようにリスクベネフィットが関わっていったのか? 特殊清掃専門会社の誕生とその軌跡である。

特殊清掃業界のトップランナーとして走り続けた軌跡は、特殊清掃業界の歴史と言っても過言ではありません。
個人で立ち上げたリスクベネフィットが理念、意識を共有して組織として活動するまでの沿革です。

前編特殊清掃業の誕生! 惟村 徹が特殊清掃へ行きつくまで ~仕事は生き様~

2010年8月5日

当時、今とは全く違った業界で事業を営んでいた惟村は、静岡県内のとあるトンカツ屋で昼食を取っていた。
そこで偶然、子連れの若夫婦の会話が耳に入ってきた。
幼子が、店内のTVで特集されていた戦争番組を見て、両親に対し「戦争」って何と問いかけた。

そこから、全ては始まった。

両親が、息子に正座するよう促し、訥々と戦争について語り始めた。
幼い子どもに真剣に語り掛ける母親、それをじっと聞いている子の姿。
惟村は、持っていた箸を置いて聞き入った。 しばらくの間その姿を見ていたが、ふと頭に衝撃が走った。

リスクベネフィットの起源である
とんかつや【雅生】
惟村は数カ月に1度この地を訪れ
初心を思い出す。

「もし自分が将来子供を持ち、同じように『戦争』について問いかけられた時、どんな事を話してやれるだろうか…。
自分は、今のこの生活の礎となっている日本が体験した『戦争』について、何も知らないじゃないか!」
惟村は、愕然とした。

そして、翌日には、自然と静岡から広島に身体があった。
この日は、広島市原爆死没者慰霊式、いわゆる平和記念式典。
惟村は原爆ドームの前で座り込み、戦争さなかに思いを馳せ、13歳や15歳といった、今でいう中学生くらいの若者が自ら志願して特攻に赴いた、その石碑(特攻志願兵石碑)を見て、大きく心を震わされた。

「企業を経営していると見えなくなる事も沢山あるんだよ!」と言い、
時に惟村はこの地を訪れている。

自分達はこの人たちがいたからこそ、今を生きている。
戦争時に、自ら命を投げうった人たち、戦争を経て今を生きるお年寄りの方たち。
この方たちの命や戦いが礎となって、俺たちは今を生きているんだ。

惟村は、心の中で人生観が大きく変わりゆくのを感じた。
こういう人たちを助けなければいけない、守らなければいけない。
俺たちに豊かさを与えてくれた人たちを…。

それまで若くして起業し、人よりも多くの財を手にし、いい酒、いい車と豊かな生活を求めて生きてきたことを恥ずかしく思った。
ほどなくして惟村の姿は会社にはなくなっていた…
惟村2010年12月、29歳の時であった。

2011年

会社をたたみ、自分は何をしていくべきかを、自分に何ができるのかと、悶々とした毎日を過ごしている時、母親が静岡放送作成のドキュメンタリー番組「サヨばあちゃん無人駅」※動画の話をしてきた。

サヨばあちゃん達が住む地区は、お年寄りの世帯が目立つ“限界集落”寂しさの漂う地区だった。
蒸気機関車が走る山あいに寂れた駅が立っている。
抜里駅(ぬくりえき)は自慢のSLも停まらない無人駅だ。
この駅舎で惣菜を作るおばあちゃんたちの姿があった。中心となっている、サヨばあちゃんこと諸田サヨさん(75歳)は、惣菜を駅舎で作って販売するだけでなく、この集落のお年寄りたちに配って歩いている。
惣菜がきっかけとなって、地区のお年寄りはサヨばあちゃんの訪問を心待ちにするようになった。「おかず」と一緒に「笑顔」を届けてくれるからだ。
唯一の話し相手だった妻を亡くし、地区の人たちとのつながりもほとんど断ってしまったおじいさんがいた。サヨばあちゃんは、そのおじいさんに惣菜を届けるようになった。
はじめは心を閉ざしていたおじいさんも、だんだん打ち解けていき、笑顔を取り戻していった。

惟村は、即、大井川鉄道の抜里駅へと車を走らせた。 おばあちゃん達の活動を通じて、お年寄りの方々が楽しく暮らす町を目の当たりにし、人間は孤独が一番辛いことだ。孤独にさせないで晩年を安心して暮らせることのできる社会を作ることができないものか、さみしい思いをさせてはいけないと改めて感じた。 そして、このおばあちゃんたちの活動は、自分の思い描くものに近いと感じた。

それ以降、惟村は各市区町村の高齢福祉課等を訪ね歩き、今のお年寄りたちが置かれている状況を学びながら、市議会議員の部屋を訪ねては原状打開に向けた策を論じ合った。
しかしながら、多くの役所では、高齢化社会で老人につけこむ新手のサギのような扱いを受けた。
同時に、近隣地区のお年寄りを集めては「焼いも」やろうぜと声をかけ、サヨばあちゃんまではいかなくとも、お年寄りの孤立化を防ぐべく一人で地道な活動を行っていた。
この頃はNPO法人を作って、老人の輪の会を設立できないかとも模索していた。

2012年7月

一年近くになる活動のある日、いつものように集まったお年寄りから、そのお年寄りの弟が「孤独死」してしまったと聞かされた。 一週間ほど連絡をとっていなかったことから発見が遅れ、住んでいた住居は大変なことになっていると聞いた。
そのお年寄りは、弟との連絡を怠った後悔の念と同時に、その住居をどのように対処していけばいいのか分からないといった現実に直面し、憔悴しきった様子で惟村に相談してきたのであった。

この日が、「孤独死」という現実を身近で知った初めての出来事であり、その後の対応に関わっていく初めての経験となっていった。

七夕祭りの日、惟村は初めて「孤独死」現場に入った。
想像はしていたものの、玄関前に立つと強烈な異臭が鼻をつき、本能的に身体が拒絶するのを感じた。
恐る恐る部屋に入ると、さらに脳天を貫くような臭いと、目の前に広がる光景に衝撃を受けた。
それでも、たじろぐ自分を何とか抑え込み、お年寄りに住居内の状況を説明すべく、各部屋を丹念に確認し、住居を後にした。
そして、外で心配そうに見守るお年寄りに対し「自分がどうにかして対処していくから安心しな」と声をかけた。
実際は、どうしていいのか分からないが「どうにかする!」の気持ちから出た言葉であった。

ここから約1ヶ月間、日々の活動に加え、死臭との闘いが始まった。

まずは、ご遺品の片付けから始めた。
一部屋ひと部屋、気持ちを込めて整理し、ご遺族に手渡すものを選別しながら進めていった。不用な物は、ご遺族であるお年寄りにトラックへ同乗してもらい、町の処分場へ持ち運ぶといったことを繰り返し、一週間かけてご遺品を整理、片付けした。
当時は、当然のことながら臭いに対処する術を持ち合わせていなかったことから、処分場へ持ち込む不用品から発する異臭に、処分場の職員の方々が辟易されていたことが強く印象に残っているようだ。
ご遺品の整理、片付けが終わった後は、その住居を大家さんへ返すべく臭いをとる作業にとりかかった。
はじめに、居室内を徹底的に清掃した。床はもちろんのこと、壁、天井、柱、窓、窓枠、備え付けの電化製品に至るまで、手作業で拭き上げた。
多少は臭いが軽減したものの、まだまだ人が入ることができる状態には至らず、途方に暮れた。
つぎに、酸性、アルカリ性など様々な薬品を用いて手拭き上げ、乾燥を繰り返し行った。次第に惟村自身が、これは効果があると感じた薬品については、密閉室内に噴霧器を使って噴霧し、扇風機を使って居室全体を乾燥させるといったことを繰り返し行った。
そして、ようやく時間の経過と共に、臭いが落ちていくのを感じた。
そのようにして、どうにか人がはいることができる、臭気を感じないと思うレベルまで居室内を復帰させることができた。
しかし今思うと、当時の臭気除去レベルは、現在の完全消臭を謳う技術レベルからすると、完成度としては6割程度だったと振り返る。

1ヶ月近い惟村の闘いが終わった。

それまで地道に活動していた惟村は、自分の力でお年寄りたちが少しでも安心して、少しでも楽しく暮らせる世の中にしたいと奮闘していたが、限界を感じている時でもあった。
そんな中、この「孤独死」した現場でご遺品を整理し部屋の臭いをとる、という一連の行動に対し、心からの感謝の言葉と、ご遺品であるトラックを売却した代金から、自分に対して謝礼を差し出して頂いたことで、惟村にある思いが芽生えた。

惟村は、自分が社会に対してできる事は、年老いた人たちが豊かな晩年を暮らす社会を夢見ていたが、自分には何も世の中を変える事は出来ず、無力である事を思い知らされていた。
しかし、年老いた人たちの最後を看取る事、またこんな豊かな時代を自分たちに与えてくれた世代の方々にありがとうと、感謝の気持ちをもって見送る事ならできるんだ、と感じる出来事であった。

自分にできる事はこれだけ、こんなことでしかないと。
その夏、株式会社リスクベネフィットは誕生した。
それは日本初の特殊清掃専門会社が誕生した瞬間でもあった!

リスクベネフィットとは、「リスクに対処する術を供給する」という意味を持っている。
惟村のその精神は数多くの後輩たちに受け継がれています。

中編 リスクベネフィットの沿革=特殊清掃業界の沿革

特殊清掃会社リスクベネフィットのサービス技術革新の歴史が、特殊清掃業界に与えたインパクトの歴史
中編は株式会社リスクベネフィットが歩んだ道のりと、特殊清掃業界の進歩の歴史になります。
平成24年8月

特殊清掃業って何?薄気味悪いと事務所探しに苦労する

まだまだ特殊清掃業と言う業種は世間に認知されていない時代であった。
その為、事業内容を説明すると「他の法人が…」と言われ事務所一つ探すのも苦労する有様であった。

ようやく契約に至った最初の事務所は【事務所内に道具は持ち込まない】と言う制限付きでの契約であった。
その為、孤独死現場で使用した特殊清掃道具は駐車場の車内での保管であった。

平成24年9月

特殊清掃業・遺品整理会社として
静岡県静岡市清水区に株式会社リスクベネフィットとして起業

日本初の特殊清掃業としての開業は前途多難であった。
ご依頼は元よりお問い合わせも殆どなく、初月の売り上げは45,000円であった。

ご依頼頂いたあるお客様に何故当社なのか?とお伺いした。
すると、変な事をやっている怪しい会社があるとお客様の社内で話題になり、社宅から引っ越す際の掃除を罰ゲームとして頼んでみろ!と興味本位で依頼いただいたようであった。

平成24年10月

カンパニータンク10月号で掲載され国立図書館に置かれる

当社に来る数多くの取材の第一弾である。
掲載はされたが反響は特になく、世間に全く認知されておらず、問い合わせは依然として苦しいものであった。

平成24年10月

特掃最前線様と開業支援契約を結び技術の進歩が進む

愛知県の人材派遣会社株式会社トラスト様と開業支援契約を結ぶ。
当社だけでなく2社で現場を共有し様々な技法や薬剤を試し検証を行った事で、特殊清掃業に必要なノウハウを単独企業よりも多く身に着ける事になる。

平成25年2月

千葉県木更津市の株式会社金田臨海総合様(エバーグリーン)と技術支援契約を締結

エバーグリーン様とは現在も有効な関係である。
単独の企業としてではなく、特殊清掃業界という広い視野で活動をしていこうと理念を共有する。今でも変わらず特殊清掃業の為にと活動を続ける。

平成25年4月

日本テレビ系【みのもんたの朝ズバ】で特集される

朝のニュースで日本の朝の顔と言っても過言ではない番組である。
取材当日あまりに悲惨な現場で、デレクターが孤独死現場の外で「朝一番でこの放送出せるのか?」とうなだれていた姿が懐かしい。

平成25年5月

初めての火災現場の依頼が入る

現在でも、日本国内では火災消臭や火災清掃の経験がある企業は少ないのが現状である。他社に先駆けて火災現場の清掃に当たる。特掃最前線、エバーグリーンとの共闘での現場であった。

まだ経験が浅く、いくつかの仮説を立てて2~3個程度の技術を試すがどれも失敗に終わる。
最終的には人力で煤を削る!と非効率な施工で何とか納品にこぎつける。
復旧まで2カ月を有した。
特殊清掃会社では切っても切れない火災消臭は、ほろ苦いデビュー戦であった。

平成25年6月

消臭革命がおこる

特殊清掃には様々な消臭方法がある。
この当時では概ね【触媒系】【オゾン系】【薬剤系】が主軸であり、どれもこれも「効いてはいるんだけど…」と、もう一息欲しい物であった。
そんな特殊清掃業界に、あの黄色い悪魔が降臨した。

そう【アクティボ】【パンサー】。
それまでの消臭力とは段違いであり、我々の努力は何だったのだろう?と空しくなる高スペック。この当時では孤独死の掃除を行うには、1ヶ月程度を要した。その為費用も100万円はあたりまえでありました。
しかし1ヶ月かかる事が2日~3日でできるのです。まさしく消臭革命!!であった。

平成25年7月

全国初の特殊清掃パック、遺品整理パックを発売開始

現在では特殊清掃のパック化、遺品整理の詰め込みプランなど、業界内では当たり前となりましたが、当時は料金自体が明記されている会社すら皆無の業界であった。
値段がわからず頼むに頼めないので困っている人がたくさんいるのではないか?と考え料金のパック化を考案、提案。
現在の特殊清掃業界のトレンドとなり、当社の主軸サービスとなった。

平成25年7月

マツコ・デラックスの【月曜から夜更かし】に出演

まだまだ際物扱いでの出演である。特殊清掃業が少しずつ認識されてきたと実感がわく。

平成25年8月

対応エリアを日本国内全域にする

特殊清掃パックが反響を呼び、お客様からのご依頼が日本全国から殺到する。一人でも多くのお客様の手助けをしたいと、日本全域で活動をする。
全国で活動できる要因としては、消臭革命で現れた黄色い消臭器があればこそである。

その結果他社よりも多く特殊清掃をこなす事で、様々な技術を磨き上げ特殊清掃業者としての地盤を作る。

平成25年9月

京都府の水害復旧現場に参加

京都府嵐山を中心に発生したゲリラ豪雨現場に発生後翌日に駆けつけ、当社の消臭や除菌のノウハウで何か役に立てる事ができないのかと現地復旧作業に参加する。
水害の現場を目の当たりにし、しっかりとした技術ノウハウが必要であることを学ぶ。

平成25年12月

火災現場の技術を磨く

火災現場のご依頼が着実に伸び、多くのご依頼を頂くようになりました。
この時期に火事清掃などのノウハウを構築する。

平成26年3月

鹿児島県霧島食肉加工公社にて大規模火災消臭

工場火災現場としては初の対応である。
これ以前は火事清掃が殆どであったが、大規模な消臭作業は初である。いよいよ特殊清掃業と形になってきた時期である。
大規模な為エバーグリーン様と共闘で対応に当たる。

平成26年4月

千葉食肉加工公社にて大規模火災消臭

3月に引き続き大規模な工場火災の案件である。
大規模な火災消臭のノウハウを構築できていたので即対応ができた。この現場ではエバーグリーン様、特掃最前線様3社での共闘作業となる。

平成26年4月

ペットの消臭作業の研究を開始

お客様からペットの臭いについてのお問い合わせ増加に伴い、社内でペット臭の除去について成分の分析などを含め、どのようなアプローチが望ましいのか、研究を開始する。
まだまだ解決方法など見つからずに試行錯誤であった。

平成26年6月

神奈川支店開設

関東地方で増えるご要望にお答えする為、神奈川県平塚市に神奈川支店を新設。
関東地方では特殊清掃業の認知も高まっており、孤独死清掃を中心に多くのご依頼を頂く。

平成26年6月

英国BBC放送からの取材依頼を受け、番組に出演

英国で長い歴史を誇る国営放送BBC、並びにラジオ、WEB新聞に取り上げられた。日本の高齢化社会の現状をお伝えし、世界から反響があった。
世界では【かわいい】などの言葉と同じように【孤独死】もその言葉自体が名称として使われている事に大変驚いた。

平成26年夏

関門海峡を26回渡る

特殊清掃の活動エリアを広め、孤独死の対応を連日行う。
この年の夏、惟村が関門海峡を渡った回数は26回!孤独死現場の清掃において圧倒的な経験値を身に着ける。

平成26年8月

水害復旧についての対応を開始する

様々な水害現場に寄り添って被災地で求められる作業、サービスをまとめ商品化。

平成26年9月

静岡県清水区から富士宮市へ本社移動

特殊清掃業を行っていると、資材や車両なども増えてくる為、本社を移転する。
現場が終わった後、スタッフ総出で自ら倉庫や事務所を立てた事が懐かしい。

事務所裏から見える富士山
平成26年10月

テリー伊藤の【東京潜入捜査】に出演、特殊清掃業が認知される

特殊清掃業者として孤独死清掃の現場の取材依頼である。
際物扱いとしてではなく特殊清掃業としてであった事から、開業から2年程度で特殊清掃業は社会に認知される存在となる。

平成27年5月

広島社員旅行

特殊清掃業界のルーツとなった広島県への社員旅行。

平成27年7月

特殊清掃の施工件数が単月100件超える

孤独死清掃において数多くの現場を経験してきて完全消臭できる為、多くのご依頼を頂けるようになった。
特殊清掃業者で単月100件以上の特殊清掃施工は唯一である。

平成27年9月

関東東北豪雨水害復旧作業

数年間にわたって対応してきた水害復旧作業をサービス化し多くの受注を頂き、現地で当社の技術を活かす事ができた。
災害発生後即現地入りしたが、あまりの惨状にびっくりした事を覚えている。

平成27年9月

第二の消臭革命【タイガー】誕生

特殊清掃業界に新たな激震が走る。第二の消臭革命【タイガー】登場である。
従来のアクティボの高スペックを引きつぎ、軽量化され使いやすくなった。
夜中でもタイマー連動なども可能になり、24時間消臭を行えることでさらに短期間で消臭が可能になった。

平成28年1月

東京支社開設

関東地方から特殊清掃サービスのお問い合わせに即対応すべく、東京都内に支店を開設。
東京都内での活動を本格的に開始する。

平成28年3月

アメリカ大使館大規模火災消臭作業!唯一効果を認められる

それまでの火事清掃では、火災後の家財撤去や掃除を中心とした特殊清掃作業であった。
火災消臭に至っても火災の消臭脱臭を基本とした施工方法であった。

アメリカ大使館でボヤが発生し、煤(すす)がまわっている清掃と消臭の案件。
国内数社が対応に集められたが、アメリカ政府から施工技術が最も高いと評価を受けたのが当社であった。
その結果、アメリカ大使館は機密事項が多い事からも、清掃、消臭施工を当社単独で行う事となった。

大使館内にある様々な備品を残したまま、火災現場を清掃脱臭するノウハウを構築した。

平成28年5月

関西支社開設!関西地方でも特殊清掃が認知される

多くのマスコミ報道や高齢化社会、晩婚化など様々な社会問題を背景に、関東地方に続き関西でもお問い合わせ増加に対し、関西支店を大阪府堺市に開設。
関西地方でも【特殊清掃】が認知され市民権を得たという事である。

大阪支社決起集会
平成28年6月

沖縄社員旅行

日頃の激務を忘れ、夏本番を前に英気を養った。

平成28年6月

尼崎工業団地大規模火災消臭対応!火災消臭革命が起きる!

今まではグラインダーで削ると言う事が主であった。この工法は非常に時間と手間がかかり料金が高い。

しかし工場の稼働など様々な制約がある事から、様々な施工方法を検討し作業を行う。
その結果、今までと同じ結果を出すまでの時間を7割程度軽減でき、料金も安くなる事に成功する。特許技術の礎となる。

平成28年9月

【会社の大変革】会社の在り方を考え規模を縮小する

会社が大きな変換期を迎える。特殊清掃業界の社会的な需要や認知度アップに伴い、業績を大きく伸ばし続けてきた。
しかし、恥ずかしながら売り上げの増加とは裏腹に、企業理念が行き届かないところも増え、クレームも増加しました。

会社は「かじ取りを間違えた」事に気づいた。会社の成長と人の成長はリンクしなければいけない事に…。
特殊清掃業という業種だからこそ、忘れてはいけない事がある。
苦渋の決断ではあるが会社を縮小し、しっかりとしたサービスを確実に遂行する人材を育てる為、会社の在り方を大きく変える。

平成28年11月

代表が心筋梗塞で倒れる

当社の代表として、特殊清掃業界のパイオニアとして長年最前線の現場に立ち続けた惟村が、心筋梗塞によって倒れる。
昼も夜も関係なく特殊清掃作業に明け暮れた事が負担になっていたことは言うまでもない。

理念を伝える事に重きを置き、かじ取りを変えてすぐの事で、代表が現場に立つことはもうできない。
図らずも、理念や技術を伝え、その思いを人に託す事になったのである。

平成29年7月

惟村が現場を去る

約半年にわたる闘病生活を終え、歩く事しゃべる事も出来ない状態から復活し、特殊清掃の技法や仕事への理念熱意を伝え、惟村は最前線の現場から退いた。
口癖である【仕事は生き様】と言うように、全身全霊で現場に打ち込んだノウハウ、生き様は特殊清掃業界に確かな足跡を残した。

後編 特殊清掃業界の円熟期!株式会社リスクベネフィットも変わっていく!

円熟期を迎えた特殊清掃業界で変革を続ける株式会社リスクベネフィット
特殊清掃業者の数も600社程度まで増え特殊清掃業界は円熟期に入ります。
特殊清掃業界では円熟期を迎え様々な問題点が出始めます。
そこに惟村の理念を受け継ぐ者達が立ち上がり、特殊清掃業界に新たな価値観を植え付けていきます。
平成29年7月

株式会社Nicobit様と業務提携し九州施工代理店を開設

規模は縮小しても日本全国より多くのお問い合わせを頂き、九州地方で誠実な会社が無いか?エバーグリーンの大邑様に相談し、株式会社Nicobit様を紹介いただく。
当社の特殊清掃への理念を伝え、九州施工代理店として活動いただく事になる。

平成29年7月

北海道社員旅行

気分一新、北海道旅行で繁忙期に向けて英気を養う。

北島サブロー像と惟村
平成29年9月

若者を集め特殊清掃への理念を説く

当社の本拠地である静岡県を舞台に、エバーグリーン様、Nicobit様を集め合同の研修会を開催する。
2泊3日の間で経営者と従業員が一緒になり討論を行い続けた。特殊清掃業に必要な思いを継承する為に。

平成30年3月

大分研修会

前年の9月に引き続いて第2弾である。
特殊清掃技術を共に高める有効な時間となった。
定期的に各社が集まり理念を共有しあう事でサービスの質を高める。

平成30年4月

富士営業所開設

施工部、営業部の社員増加、パート事務、アルバイトも増え、これまでの本社だけでは手狭となってきた。
富士市久沢90番地に営業所を新設した。

平成30年5月

沖縄社員旅行

夏前に毎年恒例の社員旅行を実施。
この年は沖縄旅行!仕事の話は抜きでバカンスを楽しみ、夏の繁忙期に向け、英気を養う。

平成30年6月

東京、埼玉、千葉支店開設

エバーグリーン様と長年の共闘を重ね、孤独死清掃、火災清掃などの技術を共有してきた事から、エバーグリーン様と手を取り合う事で合意。
当社の施工代理店として活躍いただく事となった。
当社の特殊清掃技術が広範囲のお客様の役に立てると考えた。

平成30年6月 

大阪、愛知、岡山支店開設

特殊清掃業では室内の一部解体が必要になる。
平成31年6月施行の法改正により、小規模であっても行政に対し解体業の届けが必要となる事を見据え、大阪、愛知、岡山支店を開設する。

平成30年6月

西日本豪雨と戦う

西日本を中心とした豪雨、いわゆる平成30年7月豪雨で被災した岡山県真備町の大規模水害復旧作業に従事する。
この季節は孤独死清掃も繁忙期でもあるが、孤独死清掃の特殊清掃サービス業者は多くいる事から水害復旧を最優先し、孤独死清掃サービスを控え全従業員でひと月の間水害復旧作業に専念する。

平成30年9月

孤独死清掃の依頼の6割以上が他社の手直しとなる

年々他社の手直し作業が増加傾向な特殊清掃業界であった。
7月、8月は特に他社が施工した孤独死消臭の再施工の依頼が、新規依頼よりも多くなってきた。特殊清掃業者のリーディング企業として、対応を考える事となる。

平成30年12月

特殊清掃業初!サービス特許を出願する

孤独死清掃消臭、自殺現場清掃消臭、火災、水害復旧消臭、ペット臭の消臭に関する特許出願を行いました。

  • 整理番号:PC0060JP01 特願2018-235742
  • 整理番号:PC0061JP01 特願2018-235743

特殊清掃業界では初の事であります。

平成31年1月

特殊清掃業界の為に邁進する。

当社の特許出願中のサービス特許をどのように生かすのか?
どのように役立てる事が特殊清掃業界にとって良いのか?
特殊清掃サービスを提供する約600社にアンケートを実施させていただき、ご意見を求めました。
そして日本全国の特殊清掃会社のリーダーへ赴き、多くの議論を重ねていった。

平成31年2月

特殊清掃業界に新たな枠組みができる。

これまで無資格、無許可で開業、施工できていた特殊清掃業界であった。
当社は、業界の健全化、技術向上に向け、しっかりとしたガイドラインを策定すべく、一般社団法人除菌脱臭サービス協会に働きかけを行う。

その結果、同協会が実施している脱臭マイスター制度の見直しとともに、それを通じて、多くの業者に当社のノウハウが提供できる仕組みを構築した。
特殊清掃業界の新たな枠組みが発足した瞬間であった。